韓国紀行18

tome.

有難いことに日に日に忙しさが加速しています。最近では韓国人の友人も増え、新しい言語に対する恐怖心が徐々になくなってきました。

そして、やはり類は友を呼ぶのでしょうか。韓国においても昨今の若者の政治離れを耳にしていましたが、何故か社会について話すことが増えてきました。

改めて感じるのは日本で「韓国人」に対する「ヘイト」が横行する中、韓国では「日本政府」に対する「抗議」が行われていたこと。またその批判先は、韓国政府にも向いていること。

過去の過ちと向き合おうとしない日本国民、日本政府に対して怒りがこみ上げるとともに自分の不甲斐なさに嫌気が指す時もあります。その大きな日本の闇の部分が、今の日本に存在する数々の社会問題と繋がっているようにも思います。

先日、某日本のドラマに対するコメントを見る機会がありました。現代日本社会を風刺する作品です。日本語で書かれているのは演出や脚本、演技などのメタ的な視点の感想ばかり。その風刺を称賛する声も見られましたが、実際に自分の身の回りと重ねて考えている人はいませんでした。一方、他の言語で書かれたコメントには、その作品の解釈や自国と重ねた議論が繰り広げられています。

これは最近私が日本社会に対して抱く疑問の一つです。何故こうも他人事なのかと。まるで自分たちがカメラを向ける側だけにいると思い込んでいるようなふるまいです。

学校の休み期間、光州に行きました。当時、民主化運動が活発に行われた場所です。光州の至る所に歴史の傷跡が残されていました。どれだけの苦しみを乗り越えて民主主義社会を構築することが出来たのか、記録館に保存されていた資料だけでは到底想像もできませんがその一部だけでも垣間見れたと思います。


また、先週には大邱にある「ヒウム日本軍慰安婦歴史館」に友人と足を運びました。光州の記録館では主に写真や文章が展示されていて、どのような経緯で光州事件が起こったのか、当時はどのような状況だったのか、周辺国の報道はどのようにされていたかなどが記録されていましたが、「ヒウム日本軍慰安婦歴史館」では生き残った被害者の方々の記憶が映像として残されていて、より生々しく学ぶことができました。また、今その歴史館ではAI化されたハルモニと対話することができるプロジェクトを進めています。まだテスト段階なので、歴史館でしか試すことはできませんが今後アメリカや韓国国内で展示される予定だそうです。


歴史館には日本の映像資料も保存されていました。韓国だけでなく、日本が帝国主義時代に植民地化された国にそれぞれ配属された元慰安婦の方々のお話がまとめられていました。彼らの過去は想像を絶するような過酷な状況であり、お話をしながら涙を流す方もいらっしゃいました。しかし一方で笑みを見せる方もいらっしゃいました。私はその笑みを見て、その歴史の悲惨さをより一層感じることになりました。そしてその時、韓国人の友人とご飯を食べに行ったときに聞いたハルモニの話を思い出しました。日本の植民地だったその当時、日本の敗戦に独立の喜びを噛みしめた朝鮮人の中、敗戦の悲しみで涙を流す朝鮮人もいたようです。それは、ほとんどが私と同世代もしくは若い年代の子どもたちでした。彼らは物心つくころから日本の植民地支配下にありました。そんな彼らが話す言語は日本語。日本人として教育されて来たものですから日本の敗戦を悲しんだそうです。これが30年程の植民地下で起きた変化です。数千年かけて紡ぎあげた歴史も壊すのは一瞬であることに恐怖を覚えたと同時に、改めて日本が行なった過去の過ちの大きさを感じました。二度と繰り返さないように私たちは目を見張らないといけません。

私も現代社会を生きていて、瞬間瞬間知らないうちに何かの影響を生きて暮らしています。変化自体は何も恐ろしいことでも、拒むものでもありません。ただ、その変化に気づかずただ流れのままを生きるのか、一つ一つ吟味しながら「民主主義社会」の「日本国民」として生きるのか。残念ながら、飽くまで民主主義の社会である日本では現存する全ての社会問題が選挙権を持つ国民の一人ひとりの責任になります。民衆の示す答えの正誤はすぐには判断出来ませんし、長い時が経っても判断出来ないものありますが、まずは現実を見つめて学び考え、話し合うところから始めなければ日本に未来はないと強く思う今日この頃でした。

P.S. 私の友人のお陰で旅行が晴れたことはありません。

おわり

2021年11月23日



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